物事の評価の善し悪しの境ってかなり紙一重だよね。ある意味見方次第になるかもですw

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今日は、評価の良し悪しって、

それを評価する基準によってバラバラ

になってくるよって、話をして

いきます。

 

くまおう、そんなの当たり前

じゃんって思ったのではないで

しょうか。

 

おそらくなのですが、あなたが

イメージしている話とは違うと

思います。

 

 

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人を評価するのが、相対評価

になってくるって話ではなくて、

たとえ同じものごとを見たとしても

根本的な評価がガラッと変わって

しまうという話になります。

 

どういうことかと言うと、イメージ

しやすいように、まずは具体例から

入っていきます。

 

ボクシングって、スポーツがある

と思うのですが、これはスポーツ

であることに間違いないですよね。

 

でもですよ。

ボクシングって、それがスポーツ

として認知されているからこそ、

それが成り立っているに過ぎない

のです。

 

だって、はたから見ると、単なる

殴り合いの喧嘩をしていて、法律上

だと、傷害罪の構成要件に該当して

しまう行為にしか思えないとは思い

ませんか。

 

くまおうは、ボクシングはよくないっ

て言っているのではなく、

分かりやすい具体例として

挙げただけなので、そこは

誤解しないで下さい。

 

このことからすると、同じボクシング

一つを取ってみても、一方では、

社会的に健全なスポーツとして

評価され、他方では、犯罪行為に

も当たる障害行為にもなるのです。

 

これって、怖いとは思いませんか。

 

ほんの些細なことで、こんなにも

真逆の評価にもなりかねないの

ですから。

 

では、何が原因で、こういう現象が

起こってしまうのかですよね。

 

それは、くまおうの個人的な分析

だと、ルールがあるか否かの違い

が原因だと思っています!

 

一見、喧嘩にも見えるような殴り

合いでさえも、ルールというもの

がそこに与えられると、それは

れっきとしたスポーツとして

扱われるということなのです。

 

この話って、実はスポーツに限った

ことではありません。

 

社会には、ものすごくこうした

構造が存在してるのです。

 

ただ、ここでは、その話について

は、はしおらせていただきます。

 

これで、物事の評価の善し悪し

の境ってかなり紙一重だよね。

ある意味見方次第かもってことが

分かっていただけたのではないで

しょうか。

 

今日は、社会の構造を分析する

初歩的な軽いワークの講義っぽく

なっちゃいましたが、ほんのちょっと

くらいは、目から鱗が落ちたのでは

ないでしょうかww

 

最後まで話を聞いていただいて

ありがとう。

 

では、またね。

 

愛と知恵で溢れる

幸せの向こう側へ

 

 

くまおう

 

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