アドラー心理学を一言で言うと、非常識になることかもですw

くまおうのはなし(Facebook)
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今日は、もうすでにドラマ化

されていて「嫌われる勇気」で

有名なアドラー心理学について

話をしていきます。

 

 

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アドラー心理学を、ごくごく

一言にしてしまうと、

「自分の信じる最善の道を選べ」

ってことになります!

 

くまおうは、アドラーが

この言葉で最も言いたかったのは

自分の信じるって部分ではないかと

思います。

 

まずは、最善の道って、

結果論的にしか分からないので、

おそらくは、最善の道を追求

していく心構えを持ちなさいって

ことだと考えられます。

 

次に、自分の信じるっていう

のは、自己を信頼する自己信頼

に基づくということなので、

自分の意識次第で完結できる

ものだから、それを羅針盤にして

行動をしていくのがよいって

ことだとかんがえられるから

なのです。

 

ここで、自分の信じるものを

選択して、行動していくという

ことは、裏を返せば、自分が

選択したものを信頼して

思い切って行動していくという

意味合いのものになってきます。

 

これって、勇気ある行動ですよね。

 

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この勇気の根源は、最終的にその

行動をすることに踏み切る決断を

していく決断力にあるとは思いま

せんか。

 

そして、こうした決断をしていく

ために必要なのは、因果関係を

論理的に分析をしていく能力では

なくて、むしろ、自分の本心に

素直・忠実にそれをそのまま行動

につなげられる決断と行動力で

あると確信しています!!

 

なので、あなたは、「原因分析」

をするのではなく、

「自分は何をしたいのか?」

「何をすればいいのか?」と、

現実的な行動のことを徹底して

考えることをオススメして

おきます。

 

こうしたことを考えると、

あなたの周囲の人たちから

自己中心的な奴じゃないって

思われるかもしれません。

 

確かに、そう思われる可能性

は大いにあります。

 

でもですよ。

 

仮に、あなたが、周囲の人たち

から、自己中心的な人とは

思われないだろうの行動をした

としても、数の大小のこそ差は

あれ、その場合でさえも、

自己中心的な奴と思われる可能性

は否定できないのです!

 

どうでしょうか。

 

こうしてみれば、いずれの選択を

したとしても、自己中心的な人と

思われる可能性を完全に払しょく

ができない以上、どちらでもよい

とも、言えなくはないですよねw

 

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人は誰しも客観的な世界に住んで

いるのではなく、自らが意味づけを

ほどこした主観的な世界に住んでいる

からこそ、そうした現象がおこって

しまうのではないでしょうか。

 

これは、くまおうの確信することは

人から嫌われるということは、

あなたが自由に生きるために支払わ

なければいけない代償であり、

それと同時に、

自分が自由に生きていることの証

でもあるということなるのです!!

 

ここに、くまおうのぶろぐもまた、

あなたが、幸せになるために必要な

愛と知恵を具体的に伝えて、それを

あなたなりに自由にカスタマイズ

して、自分が自由に生きていると

実感してもらうことに、その主眼

があります。

 

くまおうは、自分は思わないん

だけれども、よく非常識シリーズ

みたいに、あなたに本質的、核心的

な話をあえてしてるのは、くまおうが

あなたに、自分が自由に生きている姿

を見せることによって、あなたが

それに触発されて、より自分が自由に

生きていることを実感して

いただきたいなあという思いで

ぶろぐをこうしんしています!

 

ちょっと、恥ずかしくなってきたので

きょうは、この辺でおしまいに

するねw

 

これで、アドラー心理学って、

くまおうのぶろぐの方向性とかぶって

なくはないよねってことが分かって

いただけたのではないでしょうか。

 

最後まで話を聞いていただいて

ありがとう。

 

では、またね。

 

愛と知恵で溢れる

幸せの向こう側へ

 

 

くまおう

 

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