物事を認識する行為は、何かを比較することでしか成り立たない。

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今日は、物事を認識する行為は、

何かを比較することでしか成り立た

ないんだよって、話をしていきます。

 

 

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えっ、なにを言ってるの?

物事を認識するためには、

その物事について、知識や経験

さえあればいいのではないのと

思ったのではないでしょうか。

 

思うに、あなたが、物事を

認識していくプロセスが、

あまりにも瞬間的、かつ、無意識的

に行われているので、なかなか

何かを比較することをしている

ことにすら気づきにくいという

状態になると思います。

 

これだけ言われても、ピンっと

来ないと思うので、分かりやすく

するために、具体例も交えて

いきます。

 

人間を認識するためには、まず

あらかじめ、この人間というもの

が何であるのかを定義して

おかなければいけません。

 

いま何気にサラッと軽く流しましたが

実は、この定義をしている段階で、

既に比較をするという行為が介在して

いるのです。

 

あなたは、これを聞いて見て

どう思いましたか。

 

おそらく、それに気づいては

いなかったのではない

でしょうか。

 

つまり、定義をすることは、それを

定義するためには、それとは異なる

ものを区別、判別していけるだけの

基準というものが必ずしも必要に

なってきます。

 

そして、この基準を設けるために

必要不可欠になってくるのが、

比較をするという作業になる

のです。

 

どういうことかと言うと、

あなたが仮に、人間は、~である

と定義したとします。

 

ここでは、裏を返せば、

~でなければ、人間には当たらない

ということになりますよねw

 

ここで定義された人間の特徴という

条件が、まさしく人間とは異なる

ものを区別、判別していけるだけの

基準という形で機能している

のです。

 

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そして、この基準を設けるために、

人間VS動物、人間VS宇宙人、

人間VS物などといったVS~

というような人間というものを

定義づけするための比較として

機能していく対象が必要になって

きます。

 

イメージで言うと、人間がその他

とは違う際立った個性を備えた

定義をより確固たるものしていく

ために、VS~の存在が人間と区別

していくために必要になってくる

という感じになります。

 

このことから、くまおうは、

定義って、言ってみれば、ある意味

それを分類していくことと同義に

他ならないとも思いました。

 

これで、物事を認識する行為は、

何かを比較することでしか成り立た

ないんだよってことが分かって

いただけたのではないでしょうか。

 

今日は、かなり抽象的な話になった

ので、なかなか難しくて分かり

づらかったかも知れないです。

 

なので、あまりよく分からない

という場合には、軽く聞き流して

いただいても、大丈夫ですからねw

 

最後まで話を聞いていただいて

ありがとうです。

 

では、またね。

 

愛と知恵で溢れる

幸せの向こう側へ

 

 

くまおう

 

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