問題に決着をつけることは、問題を解決することにはなってはいない?

くまおうのはなし(Facebook)
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今日は、問題に決着をつけることを

まるで、問題を解決したかのように

扱われていて、それが大問題じゃ

ないの?って、話をしていくぜ。

 

なんだか、意味がよく分からない

って、なったのではないでしょうか。

 

 

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ここからは、くまおうの定義には

なりますが、分かりやすくするために

それから進めていきます。

 

問題に決着をつけるとは、取り合えず

その場を収めて、一時的に

その場しのぎで、問題を棚上げの

ままにしておくということを

意味します。

 

問題を解決するとは、問題の根本的な

原因を探ってから、その原因を緩和、

解消させて、ある程度そこで

完結させることを意味します。

 

これって、全く違いますよね!

 

前者は、問題に対して逃げみたいな

感じであるのに対し、後者は、問題に

対して正面から向き合っているので、

まるで相反するベクトルになります。

 

これだと、抽象的でイメージが

なかなか浮かびにくいので、

具体例を挙げていきます。

 

あなたが、虫歯で歯が痛むとします。

 

その時に、歯医者で虫歯治療をすれば

問題を解決することになります。

 

虫歯が原因で歯が痛むのであれば、

その虫歯を治療すれば、その痛みは

解消されるからです。

 

でも、あなたが、歯医者には行かずに

ドラッグストアで痛み止めを買って

それを飲んで痛みを解消したと

します。

 

その場合には、虫歯が治療されて

いない以上、痛みがまたいつか

ぶり返すか分かりません。

 

ただ、一時しのぎとして、痛みは

解消はします。

 

これが、問題に決着をつけるという

ことになります。

 

さらに具体例を挙げていきます。

 

会社で役員や社員が不祥事を起こし

その場合には、責任者が責任を

とって辞任するってニュースを

一度は耳にしたことがあるのでは

ないでしょうか。

 

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これは、まさしく論理のすり替え

になっているのです。

 

だって、たとえ、その責任者が辞任を

したとしても、そもそもの不祥事を

起こしたことの問題の解決には

ならないとは思いませんか。

 

これは、会社に対する社会的な批判を

かわすための一時しのぎにしか

ならないのです。

 

これは、問題に決着をつけるという

ことになります。

 

でも、こうした問題に決着をつける

ということを、あたかも問題を

解決しているかのような、

それらしい社会的なコンセンサス

が成立していますよねw

 

これは、あくまでも、くまおうの

イメージなのですが、時代劇での

切腹の構図によく似ているなあと

感じました。

 

切腹をしても、何も変わらないし、

挙句の果て「あとは頼む」って、

文字通り責任すらとっていない

ことを自分でも認めているじゃ

ないですかww

 

これでは、何も問題は解決を

したことにもなりません。

 

しかも、それで決着をつけた瞬間に

あたかも解決したかのようにも

なるので、それで完結させようとし

それに目を向けようとは二度と

しないようにもしてします。

 

これって、大問題じゃないですか。

 

これで、問題に決着をつけることを

まるで、問題を解決したかのように

扱われていて、それが大問題じゃ

ないの?ってことが分かって

いただけたのではないでしょうか。

 

今日は、ごくごく普通に問題意識を

もたなければ、陥りがちな論理の

すり替えについての話だったので、

ハッと思ったのではないでしょうか。

 

最後まで話を聞いていただいて

ありがとう。

 

では、またね。

 

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