あなたは本当に科学を
根拠にしたアイデアを
重視して物事を
考えていますか?
あなたは、アイデアのもとは科学を
根拠にしているのに決まっている
と思ったのではないでしょうか?
はたして、本当にあなたの思って
いるように実際にそのように
考えていますか?
確かに科学は万能ではないけれども
因果関係や物理法則と言った
「論理的な普遍的な法則」を
提示し、日常生活にもそれが
大いに役立っています。
とはいえ、あなたが日常生活を
送っていると、どうしても
そうした「論理的な普遍的な法則」
では説明の付かない出来事って
出てきますよね。
そんなの当たり前ではないのって
思ったかもしれません。
でも、このことが当たり前だと
思った時点で、あなたは間違いなく
アイデアのもとは科学以外を根拠
にしていることを意味しています。
正確には、アイデアのもとは
科学〈 科学以外
といったかが食い合外のものを
重視していることになります。
どういうことなのかというと、
科学は普遍的で物理法則が示す
ように例外をいっさい許さない
性質のものになります。
この点で、物理法則などのロジック
で説明がつかないということは
それはもはや科学ではないという
ことになってしまいます。
ここで少し話題を変えて
いきましょう。
科学の存在の拠り所とは?
どうして、科学は科学たるものに
なっているのでしょうか?
あなたは、どうして科学が科学であり
続けられていると思いますか?
つまり、科学はどうしてその
アイデンティティ(存在価値)
を維持していられるのかということに
なります。
少しだけ考えてみてください。
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科学は分離というものによって
自らのアイデンティティを保って
いられるのです。
科学は、そもそも物事のあらゆる
事象から一部分を切り取って
その切り取られた部分だけに
分析や実験を試みてそこに対して
当てはまるロジックを展開して
いるだけに過ぎないということに
なります。
ここで誤解のないように言って
おきますが、決して科学には価値が
ないということを言っている
訳ではありません。
科学はそういう類いのものである
ということを言っているだけです。
では話を元に戻していきましょう。
科学は、万能ではないというよりは
むしろそれが対象にしているもの
自体があらゆるものすべてではない
と言った方がいいかもしれません。
分析というもの一つにしても
その分析の対象になるものは
その分析者の恣意的な判断に
委ねられるのですから。
たとえば、オタクといわれる人は
自分のオタクの分野に関しては
ものすごくエキスパートです。
オタクの人が自分のオタクの分野の
話になると、目を輝かして書籍など
にも目にしたことのないような
内容の話をこれでもかっていうほどに
語ってくれたりします。
その評論にはオタクについての情熱が
感じられ、厳密に言えば
科学ではないにせよ
自分なりの分析をしています。
でも、この分析もオタクという
自分の分野一つをとってみても
その分野全般ではなく、自分の
お気に入りの中での限られた分野
もっとミクロなものについて
その分析の対象にしているに
過ぎないのです。
このことを指してさきほど
分析というもの一つにしても
その分析の対象になるものは
その分析者の恣意的な判断に
委ねられるのですからと
あなたにお伝えをしました。
また、このようなオタクの人は
自分のオタクの分野以外のことに
ついては全くの素人になります。
こうして分析をする際について
オタク以外のバックグラウンドに
乏しいという可能性が高いので、
極端な方よりのある分析がなされて
いる可能性も高いということにも
なります。
科学の本質を分析とするならば、
やはり科学そのものは普遍的なもの
として成立するようなものしか
はなからその対象にすらされて
いないと言えます。
もし仮に、あなたが自分のアイデアが
科学以外のものを根拠にしていないと
すれば、あなたの周りで起こっている
あらゆる事象について、完璧に
説明ができなければいけません。
たとえば、あなたが今お腹がすいて
いたとします。
そして、どうして今あなたはお腹が
すいたの?と尋ねられて、
「それは~だからだよ。」と
完璧なロジックで説明ができなければ
いけないということになります。
もし、あなたがその理由を瞬間的に
「今お腹がすいているから、お腹が
すいてるだけに決まっている」と
思ったのであれば、それは
間違いなく科学以外のものを
根拠にしていることになります。
ここからは少しうがった見方に
ついて検討していきましょう。
科学というものの性質とは?
お腹がすいたのは、次のうち
3つのいずれかだよと答えたと
します。
1、血糖値が下がったため
摂取した食物が活動により分解され、
消費されてしまうと血液にとり込める
ブドウ糖がなくなります。
そうなると血糖値が下がり、脳が
「エネルギーを補給しなければ
ならない」と感じるのが空腹を感じる
メカニズムですと。
2、脳の勘違いによるもの
短時間に大量の食物を摂取した場合には
少し違うことが起こります。
血糖値が急上昇することを脳が危険と
判断し、血糖値を下げるためインスリン
を分泌し、その結果、血糖値が
下がったと脳が勘違いすることに
よって起こってしまうと。
3、血糖値低下以外の場合
睡眠不足の状態が続いていると、
満腹中枢を刺激するレプチンという
ホルモンが分泌されにくくなると
ともに、食欲を刺激する
グレリンというホルモンの分泌が
増えるからだと。
こうして3つの理由を並べて見て
勘のいいあなたならば、もう気付いた
のではないでしょうか?
今見てきた3つの理由は一面の
心理としては正しいのですが、
その3つの理由だけでお腹がすいた
という現象を完全にとらえることは
できないということが分かって
いただけたのではないでしょうか。
もちろん、科学の分析はその条件が
うまくかみ合えばピタッとうまく
はまる場合もあり、ものすごく
有効なことは間違いありません。
このことから、科学は普遍的ではなく
確率論でそうである可能性が高い
という性質のものなのです。
だからこそ、科学ということを根拠
にしていながらも、結局は科学以外の
ものもそれと同時に根拠にしている
ということにもなります。
科学の分析の中に、科学以外の要素も
その中に含まれているということに
なります。
よって、あなたはどうしても
科学以外のものを根拠にした
アイデアのよって物事を考えていく
ことは必然になってきます。
そして、どちらかというと、
あなたはその比重からしても
科学以外のものを根拠にしたアイデア
によって物事を考えている側に
入る可能性が高いと言えます。
その理由は、先ほどの質問に戻り
どうして今あなたはお腹が
すいたの?と尋ねられて、
「それは(3つの理由)だから
だよ。」とあなたはすぐさま
頭の中でそれが思いうかんだりは
しないからです。
人間の価値判断は往々にして
自分の経験則を重視して物事を
判断していくのが通常ではないで
しょうか。
もちろん、この経験則の中にも
科学の要素は少し入ってもいます。
なので、あなたは科学以外のア
イデアを重視して物事を考えていると
いうことが分かっていただけたのでは
ないでしょうか?
この話はかなり抽象的で、かつ、難解
なものなので、良く分からない
としても大丈夫です。
何回も繰り返し読み返して
いただければいいと思います。
まとめ
一見すると、あなたは科学を
根拠にして合理的な選択をして
行動しているように思えます。
ところが、この科学そのもの
自体がその性質から、あなたが
思うほどの合理的なものでは
ないということが言えます。
科学は、分析というプロセスを
経てそこから普遍的な法則を
導いていくものではあります。
しかし、その分析をする分析者が
分析をするその対象(どれを
分析の対象にするのか、どの範囲
を分析の対象にすべきなのかなど)
を恣意的に決めるので、その時点で
普遍的ではなくなっているという
落とし穴があります。
そのことから、科学は普遍的ではない
ということが分かります。
ただし、たまたまその分析者が
恣意的に決めた条件とあなたが今
まさに分析をしようとする物事の
状況とがピタりと同じになれば
普遍的となる場合もあります。
(その限られた条件が揃えば)
また、科学は普遍的ではないにせよ、
確率が高くそうなる可能性を問題に
する場面では特にその優位性が
あるので、その点で科学はすごく
役に立つツールには違いは
ありません。
あなたは、どうして今お腹がすいて
いるの?」と質問をされたら、
きっと科学のロジック
(たとえば、3つの理由)を
使って説明をすることはしない
でしょう。
そのことから、あなたは科学以外の
ものを根拠にしたアイデアを重視して
物事を考えているのではないで
しょうか。
そのことを自覚しつつも科学のよい点
を踏襲して真の意味での合理的な選択
をしていただくと、あなたが期待する
結果なりが出る可能性もグンっと
高まるでしょう!
では、またお会いしましょう!
愛と知恵で溢れる
幸せの向こう側へ
くまおう
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