コミュ障は、可愛い性格の持ち主であって何も悪いものではない!

くまおうのぶろぐ
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コミュ障とは?

 

コミュ障とは、対人関係を必要と

される場面で、他人と十分な

コミュニケーションをとることが

できなくなるという障害のことを

言うとされています。

(ウィキペディアより参照)

 

 

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ここで注目する点があります。

 

それは、「対人関係を必要とする

場面で」というこの部分になります。

 

これってものすごく曖昧だとは

思いませんか?

 

対人関係を必要とするっていったい

どんな場面を想定しているのか

良く分からないですよね。

 

また、そうした対人関係を必要

とする場面にあたるのかどうかを

判断をするのは、はたして誰なのか

そうした疑問が残ります。

 

要するに、コミュ障害とはそもそも

それ自体があってないようなものに

なります。

 

イメージで言うと、あだ名に近い

ようなものではないでしょうか?

 

あだ名って、その人本人を表すもの

ではあるのですが、本名でもなく

そのあだ名を呼んでいるその特定の

人にしか通用しないようなもの

になります。

 

だからこそ、コミュ障と言われれば

そうでもあるし、そう言われなければ

そうではないといった類いのものでは

ないでしょうか。

 

中には、自分でコミュ障といって

名乗っている人もいたりする。

 

これが、コミュ障の実態ではない

でしょうか。

 

とは言っても、実体のないコミュ障

という標語が社会的に認知されて

しまっているのはどうして

なのだろうか?

 

それは、あなたも疑問に思ったの

ではないでしょうか。

 

ここからは、その疑問について

深堀していきます。

 

 

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どうしてコミュ障が

社会的に認知され、

その言葉がある種

流行語にまでに

なったのかについて?

 

 

コミュ障というと、感覚的には

人と会話をするのが苦手な人を

指していて、その実は、あまり

人と関わるのが苦手のことを

意味しているように思えます。

 

つまり、コミュ障という言葉

には、人と関わるのが苦手という

意味合いの色彩が強いと言えます。

 

これは、まさにレッテルになります。

 

人と関わるのが苦手なことが、

あたかも悪で、よくないことだと

いうことを言っているようなものに

なるのです。

 

もちろん、全ての人と関わるのが

苦手だとしたら、それはそれで

問題があるとは思います。

 

ところが、人と関わるのが苦手な

ことは、必ずしも決して悪いこと

ではありません。

 

ここで、話は少しそれますが、

どうして人と関わるのが苦手に

なってしまうのかそのメカニズム

について個人的な分析をして

いきます。

 

おそらく、人と関わるのが苦手と

いうと、その人間と関わることが

苦手というよりはむしろ、

その人間とか関わることによって

お互い、あるいは相手が傷ついたり

よくないことになってしまうのでは

ないかと思って、その結果、

あえて人と関わらないようにして

いることが多いのではないでしょうか?

 

中には、人と関わることで自分が

傷ついてしまうことを避けるために

あえて人と関わらないようにして

いる場合もあるとは思います。

 

ただし、大方は前者の方ではない

でしょうか。

 

前者後者のいずれの場合であっても

何も悪いことではありまえせんよね。

 

だとしたら、なおさら前者の場合に

いったいどうして悪いことにあたる

のでしょうか?

 

そうなのです。

 

コミュ障とは、このように何も

悪いことではありません。

 

逆にいいこととも言えるくらい

なのです。

 

だって、仮にあなたが

人間とか関わることによって

お互い、あるいは相手が傷ついたり

よくないことになってしまうのでは

ないかと思って、その結果、

あえて人と関わらないようにして

いるのであれば、これこそまさに

「思いやり」そのものではない

でしょうか。

 

人を思いやることが悪いわけが

ありません。

 

こうした思いやりのある人こそ

善であるとし、人と関われない

ある種人間の欠陥とみなすレッテル

を貼られるべき存在には

当たりません。

 

くまおうは、そうしたあなたを

可愛い性格の持ち主であって

何も悪いものではないと

思っています!

 

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今日の本題はここで終わりなの

ですが、これで終わりだと

コミュ障害は善だよって話で

終わってしまって、あれって

なると思うので、そんなあなたに

コミュ障だと思われるタイプの

人はどうすればよいのかについて

お伝えをしていきます。

 

思いやりのあるあなたは、

おそらく人と接していて

人並よりも人の気持ちがよく

分かるタイプだと思われます。

 

だとすれば、そんなあなたが

人と関わって、相手を傷つけて

しまうような事態になることは

なかなか考えられません。

 

仮に、あなたが人と接していて

相手の反応を見てから、これだと

「相手を傷つけそうだなあ」と

判断した場合に限っては、その人と

関わりを持たないという選択の方法

をとれば問題がないのではない

でしょうか。

 

あなたは、人と関わることを拒絶

するのではなく、人を傷つけないように

するだけで十分だということに

なります。

 

こうした態度・対応をしていけば、

コミュ障だという何の根拠もない

不快なレッテルを貼られることもなく

なるでしょう。

 

人はひとえにして、自分とは考え方や

タイプもそれぞれなので、実際に

接して見ないと、はっきりしたことは

分かりません。

 

こうした事情を踏まえると、なるべく

多く人と関わることによって、

人間観察ではないにせよ、さまざまな

ドラマをあなたの中に見つけ出して

いくことこそ、あなたが人生を楽しむ

きっかけになるのです!!

 

こうして、あなたはこれまでの

コミュ障というレッテルから卒業を

して、人間と関わることのエキスパート

になっていく足掛かりを築いていくの

です。

 

 

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まとめ

 

コミュ障って、実際にはあってない

ような何も根拠のないレッテルだと

いうものになります。

 

ただ、このレッテルによって、

人とのやり取りが苦手というよりは

むしろ人と関わるのが苦手な人間

として欠陥であるというニュアンス

の意味を社会的に含んでいます。

 

こうしたニュアンスから、

本来ならば、相手への思いやりから

あえて人と関わりをもたないという

選択をしているだけに過ぎないのに

それを人間として欠陥というレッテル

を貼っているのがコミュ障の実態

になります。

 

ここには、何の根拠も存在はしません。

 

ただし、そういうレッテルを貼られて

しまったコミュ障に該当する人は、

たちまち悪いものとして心理的に

社会の隅っこに追いやられてしまい

ます。

 

このような事態を引き起こしている

ことこそが、大問題なのです。

 

でも、思いやりのあるあなたならば

相手の気持ちに敏感に気付いて

あげられるので、相手を傷つけて

しまう可能性は極めて低いと

言えます。

 

なので、そんなあなたはどんどん

人と接していくことによって、

不快なコミュ障というレッテルを

卒業し、新たな人とのかかわりの

達人になっていけばいいのではない

でしょうか。

 

そうすることによって、あなたは

あなたらしく人の気持ちの分かる

利点を生かした保強い生活を送れる

ことになるでしょう。

 

では、またお会いしましょう!

 

愛と知恵で溢れる

幸せの向こう側へ

 

 

くまおう

 

 

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