歴史や伝統に縛られるのではなく、理想を追求していく自分の中にこそ自分らしさがある。

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あなたは、自分らしさ、つまり自分と言う存在の個性って何だろう?って思ったことはないでしょうか。そして、どうしてそんな疑問を持ったのか?

 

 

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自分らしさは何だろう?って疑問をなぜもったのか

 

 

あなたはあなたらしさで生きていないからです。あなたらしさは、あなたそのものというものでしかないのですが、それがあなたとは違った他のものから意味付けられて存在するかのように勘違いしてしまっていることから、そんな疑問を持ったのです。

 

あなたらしさを、まるであなた以外の他の人とは違うといったものから導き出していることになります。たとえば、あなたは歌を歌うのが上手だとします。この場合には、あなたは歌を歌うのが上手だという個性を、歌を歌うのがあまり上手ではない他の人を基準にして、その基準から自分を評価して見ると他の人よりも歌を歌うのが上手だという個性を持っていると消極的なプロセスで意味付けをしている。

 

本来ならば、あなたは歌を歌うのが上手だということは周囲には関係なく、そうであるのに。なぜにそういった消極的なプロセスでもって評価してしまう癖のようなものが身についてしまっているのか。

 

この問題提起に、自分らしさって何だろう?って疑問に思ったことのヒントが隠されています。あなたは自分を評価する度に常にあなた以外の他人と比較をすることが前提で自分自身を評価してしまってはいませんか。

 

これが、自分らしさの意味をよく分からなくしている要因になっています。固定化 型にはめるといった自分らしさとは逆のベクトルが働いてしまう主な要因になっているのです。

 

たとえば、あなたは料理を作るのが上手だと周囲の人からそう言われたとします。この場合に客観的に料理が上手であることもあるでしょう。ところが、実は客観的にはそうではなくても、「自分って料理が上手なんだ」とそう思うことで、料理の勉強をしたり、料理を作る練習をたくさんすることによって後々には誰の目から見ても、料理が上手になることもあります。

 

両者ともに、客観的に料理が上手であるかどうかはそんなに重要なことではないということがポイントになってきます。いずれにせよ、そうした”きっかけ”によって後々のあなたの結果を大きく変えてしまう影響があるのです。

 

こうしたきっかけによって実現されたあなたが自分らしさであると世間一般ではそう思われていることが多いのではないでしょうか?でも、これって、理論的には、あなたらしさそのものではなく、あなたがそうしたきっかけをから選択をして得られた「結果」に過ぎません。

 

もっと簡単に言うと、風が吹けば桶屋が儲かるみたいな程度の論理的な一貫性しか持ち備えてはいないことを意味します。

 

では、いったいあなたらしさという他とは区別される個性とはいったい何者なのか?

 

 

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あなたらしさという個性はいったい何者?

 

 

あなたらしさという個性はあなたがそれを意識しない状態にならないと、その答えは出せていないことを意味します。

 

いきなり非常識なことを言います。あなたが頭でそれを考えれば考えるほどあなたらしさは見えてこなくなるのです!

 

何?それって?なりましたか。でもそれが真実です。以下その理由について考察していきます。

 

あなたらしさを頭で考えると、おそらくあなたは過去の経験や体験から自分はどんな人間であったかを過去検証のように探っていくプロセスを踏むことになるでしょう。すると、過去のあなたらしさであったであろうという仮想的な自分らしさというものを定義していくことになります。

 

これは一見すると、あなたらしさと勘違いされてしまいがちですが、そうではありません。それは「現在の」あなたがそう思い込んでいる「過去の」あなたらしさを定義したものに過ぎないのです。

 

そもそもあなたは、生身の人間です。あなたはこうしてこのブログを読んでいるこの瞬間瞬間、刻一刻と変化しています。変化をし続けているということです。それをあなたが意識してようがしてまいが。

 

つまり、あなたらしさは定義することは出来ない性質のものになります。定義とは、~は~だといった意味を固定化するものなので、連続して変化をし続けているものを捉えることがそもそも出来ないのです。

 

そんなことを言ってしまったら、身も蓋もないでしょう。ここまで話を聞いたら、あなたらしさ自体が存在しないの?ってなるかと思います。そうではないです。

 

あなたらしさは中々文字化することは難しいですが、存在します。あなたらしさは、あなたが喜ぶことになります。たとえば、あなたがそれをして楽しい、夢中になるなどといったプラスの感情を沸き立たせてくれることをすることです。

 

ここで勘違いしないで欲しいのは、単なる自己逃避して嫌なことから解放されて楽しいみたいなものではなくて、後先を考えることなくただそれをしていることが楽しいといった感情を沸き立たせてくれるものを意味します。

 

具体的な判断方法は、あなたが無制限に制限なく、お金や時間や環境などに制限なく何でもできる状態であっても、それをすることを選択するかどうかによって判断することであなたらしさという個性が発揮されていると言えるでしょう。

 

それはまさしく自分の中にこそ自分らしさがあると言えるでしょう!

 

ここまでで、あなたらしさについてご理解できたかと思われます。でも、そうは言っても現代社会では情報過多などによってどうぢても自分らしさを没却してしまう誘惑があります。それにかからないように最後にあなたらしさを没却させてしまう危険な要因についてお伝えをしていきます。

 

 

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歴史や伝統や風習に縛られてあなたらしさが没却されている

 

 

あなたは知らず知らずのうちに、歴史や伝統や風習に縛られている可能性が高いのです。また、あなたが普通に日常生活を送っていると自然とそうなってしまうものなのです。

 

あなたは無意識のうちに古くて長く続いて存在しているものに対して、いいものだと評価をしてしまってはいませんか?おそらく、内容を吟味する前の段階でこの”古くて長く続いて存在している”という条件を最優先して何となくいいものだと評価をしているのではないでしょうか。

 

このような固定化された条件だけを基準に評価をしてしまうとすごく危険なのです。どう危険なのかと言うと、条件が満たされてしまうとただそれだけでその他の本来ならばバランスの取れた評価をするのに必要な情報を捨象してしまうからです。ものすごく偏った極端な判断をしてしまうことになりかねないということです。

 

たとえば、スポーツのルールでは、非日常的な固定化された決められた普遍的なものが要求されます。そうでなければスポーツ種目そのものではなくなってしまうからです。また、祭りなどもそうかもしれません。

 

しかし、あなたが生活している日常では生活に活用、役に立つことが重要になってきます。たとえば、法律や制度などのようなものがあります。

 

ここでよくよく考えて見て欲しいのですが、そのやり方は日常に合っていますか?って疑問のあることはりませんか?ってことです。

 

たとえば、ある種の宗教を信じるか信じないかみたいなものと同価値に陥ってしまっているのです。宗教の教義は、宗派によって多少の違いあ派あれ永遠に変わることはない普遍的なものになります。

 

この普遍的な性質であるが故に、一ミリの変化をも好まないことから、その教義を死守するでしょう。また、そうでなければ宗教そのものが存立しなくなってしまう。これは、スポーツのルールと同じ感じになるかもしれません。

 

ここで良く考えて見て下さい。あなたは人間である以上、常に変化しています。あなたの細胞一つ一つが細胞分裂し続けているように。また、あなたを取り巻く周囲の環境なども同様に。

 

なので、あなたは変化の渦中に存在していることになります。このことから、変化を前提としない歴史や伝統に縛られるのは、その性質から逆光した生き方になるのです。これでは上手く行くわけがありません。

 

ただし、歴史や伝統そのものが価値がないとか、宗教に意味がないとかそういう意味ではないことは誤解がないように言っておきます。あなたが、今の現状に満足していないのであれば、その場合に変化を前提にしない価値観や固定観念に縛られているのではないかと、そう思ってお伝えをさせていただきました。

 

では、あなたは何を拠り所にしていけばよいのか?それは、今この瞬間瞬間の生活に活用、役に立つことを追求していくことが理想を追求していくことになる。この積み重ねこれに尽きます!!

 

あなたは、この判断基準にそって行動していけばいいだけなのです。実は、単純なことだったのです。

 

ただこの結論から入ってしまうと、納得できない可能性が高いかと思い、その前提の話を長々とさせていただきました。ぜひ、参考にしてトライして見て下さい。

 

では、またお会いしましょう!

 

愛と知恵の溢れる
幸せの向こう側へ

 

くまおう

 

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