あなたは、これまでに一度くらいは人からズルイなんて言われたことがあるのではないでしょうか?
ズルイと言われたこの瞬間に、あなたの心の中でこう思いませんか?「自分って悪いことをしているのか、ならばこれはしてはいけないことなんだ。」と。
本当に、ズルイことはしてはいけないことなのでしょうか?いいえ、それはしてはいけないどころか、すべきことなんだよってことについて、あなたにお伝えをしていきます。以下では、どうしてそうなのかについて、掘り下げていきます。
ズルイことはどういうものなのか
ズルイことって、これだといったお決まりの定義はありません。だとすれば、何を基準にズルイと判断しているのでしょうか?
ズルイとは、ズルイと思う人の主観によって判断されているだけだと言うことになります。つまりは、幻や蜃気楼みたいに形のないものだということになります。
また、ズルイとは悪くないことだからズルイという表現をしていることにもなります。仮にズルイことが悪いことなのであれば、ぞれは単純なことでただ悪いことだと、そういえば済むだけのことなのですから。
それをあえてズルイといった回りくどい表現をわざわざするということは、その裏には悪いとは言えないことが隠れていることになるのです。
それをすること自体は悪くはないけれども、それを先にやられてしまって「何だか出し抜かれた」みたいなそんな感情から、それをそっくりそのまま表現すると自分にとってバツが悪いので、ズルイという回りくどい表現になってしまっているのではないかと思います。
出し抜かれたことを正当化するために、ズルイという言葉によってその人を攻撃しているそんな感じになるでしょう。
ここでまとめます。ズルイとは、それを言う人にとって、「何だか出し抜かれた」という気持ちが湧いたかどうかがその基準になっている。そして、この基準はその人それぞれによって、かつ、時や状況によっても異なるものなので、やはりあってないようなものになります。
どうしてズルイと言われるのか
ズルイと言われるのは、それは妬まれているからに過ぎません。ズルイといわれるには、ズルイと言う人から「よくも自分を出し抜いて先を越しやがって」といった敗北感からくる妬みがそこにはあるからです。
ここで重要なポイントは、”敗北感”を感じたかどうかにあります。
仮に、敗北感を感じないのであれば、出し抜かれたとしても「あ~あっ」で終わりになるのではないでしょうか。わざわざズルイなんて言葉を言う必要もないし、何せそれを言うのにもまたエネルギーを使ってしまうものなので。
ズルイという言葉を吐かずにはいられない強い動機みたいなものが必要になるということです。そして、そうした行動に突き動かす強いエネルギーとなってくるのが、まさしく”敗北感”だということです。
あなたは、意識していようがいまいがズルイという人に対して、そうした敗北感を感じさせてしまっているのです。
この意識していようがいまいがといった点が厄介なものなのだ。それは、あなたが実際に見ず知らずの人からでさえそう思われてしまう可能性があるからです。たとえば、有名タレントが不倫をしたとかしないとかみたいな、いわゆるゴシップ記事に目を奪われたその挙句、(自分は不倫が出来ないのにも関わらず「不倫なんかしやがって」といった敗北感を感じさせてしまうみたいなことが起こりがたちです。
あなたが、有名タレントではないにせよ、あなたのあずかり知らないところでそう思われてしまっている可能性は否定できません。だからといって、それを気にする必要があるということを言っている訳ではありません。
以上が、どうしてズルイと言われてしまうのか?についての理由になります。そこで、ズルイことは悪いことではないことがここまでの話で分かっていただけたと思います。では、ズルイ?と言われていることを継続していくためにどうすればよいのか?
ズルイこと?を上手くし続けるには
ズルイと言っている人から妬まれないようにさえすればいいということになります。ところが、先はほどお伝えをしたようにそもそもそんなことはそもそも無理なのです。
ズルイという人は、あなたのなすことに対して敗北感を勝手に感じ、妬んでいるのですから。なので、ズルイという人のことは残念ながら放っておくしかありません。
それを前提に、どうしていけばよいのか?人は人って割り切ってしまえれば、それはそれでありだとは思いますが、そうはいかないという人が多いと思うのでそれとは別の方法を紹介していきます。
要は、敗北感を感じにくいようにすれば良いことを手掛かりにすれば、そういった状況になるようにすれば良いのです。敗北感は、実際にはどうであれほぼ互角だと思っているからこそ、そうした感情が芽生えてきます。
ならば、あなたは圧倒的な実力を身に付けるか、インフルエンサーとなってしまえば、そんなあなたに対して到底互角とは思えないでしょうから敗北感すら感じられなくなるのです。
たとえば、プロ野球選手を目指してしる野球少年がいたとします。その少年が、イチローと勝負をして負けたからと言って敗北感すら感じるほどの余裕もない。また、イチローが試合で活躍をしている姿をみて羨ましいとは思えても、それに対して妬んだりすることもないでしょう。
自分には才能がないから、そんな圧倒的な実力を身に付けたり、インフルエンサーになることは無理だから、なるべく敵を作らないでズルイと言われないようにしながら、ズルイことをするみたいな考えをするかもしれないです。
一見なんかいけそうな気がしますが、これはそうはいきません。ズルイと言われないようにした時点で、その瞬間ズルイことはしないと宣言したことと同じことです。なぜなら、ズルイことをした瞬間にズルイと言われてしまうので、論理的に無理があるからなのです。
ズルイことを上手くし続けるためには、本末転倒ではあるのですが、圧倒的な実力を身に付けたり、インフルエンサーになるまでは我慢するしかないというシビアな結論になります。ただ、この方法しかないと言うことを知ることによって、妙な淡い期待をしないで済むのではないでしょうか。
まとめていきます。ズルイと言われてもそれは悪いことではないので、そこは気にしないでもいいのです。でも、それをし続けてズルイと言われないようにするためには、圧倒的な実力を身に付けたり、インフルエンサーになる必要があります。それを手にするまでは我慢しながらズルイと言われながらの状態でそれをし続けていかなければいけない。
これが、ズルイこと?を上手くし続けていく唯一の方法だと考えています。それをやるかやらないのかは、つまりは、あなた次第であるのです。
では、またお会いしましょう!
愛と知恵で溢れる
幸せの向こう側へ
くまおう
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