今日は、あまりにもお金至上主義に
なってしまうと、いずれは無力感に
さいなまれる羽目になってしまう
よって話をしていくぜ。
えっ、どうしてそうなるのって
思ったのではないでしょうか。
では、どうしてそうなるのかを
分かりやすく話していきます。
お金に執着をし過ぎていること
から、その根底にあるマインドは
お金さえあれば、幸せになれるって
思っている場合が多いのです。
まず、このマインドが、かなり
問題があるということは、容易に
分かると思うので、ここでは
割愛させていただきます。
次に、お金に執着をし過ぎると、
その目的が、お金を増やすことだけに
意識が集中してしまいます。
この意識状態こそが、その他の
大切なものを無視、軽視していく
方向に向かってしまうのです。
しかも、この状態に陥ると、
そこから抜け出すことは、かなり
困難になってしまいます。
なにせ、お金にしか価値を見出せ
なくなるお金至上主義に陥っている
のですからw
ここから、そのことがどうして
無力感につながってしまうのかに
ついて、進めていきます。
自分の好きなことをしてもお金には
ならない(と思わされている)として
自分の好きなことをすること自体を
あきらめる発想になるので、その結果
何もする気が起きないのです!
ここからは、くまおうの分析に入って
いきます。
ただ、くまおうは特に、ニートを
批判する気も全くないし、なかば
それも自然発生的なのかなとさえ
考えているので、そこは誤解しない
で下さい。
ちょっと労働意欲がわかないって
いうニートみたいな人たちが増えて
いる社会現象の根底には、
お金至上主義が蔓延してしまって
いる社会で、お金のために
自分の嫌いなことをしてまで
働くという意味が理解できなくて、
分からなくなってしまっているのでは
ないでしょうか。
だって、自分の嫌いなことをほぼほぼ
毎日のように我慢して、気の遠くなる
ような人生の大半を占める長期間
にわたって、ただひたすらに
我慢比べを続けることになるので、
そもそも無理があるとは思いま
せんか。
なので、ニートみたいな人たちの
心境って、いわば自然だと思います。
ここで、重要なのは、おそらく
この話を聞いて、それは甘えじゃ
ないの?って、感じたかもしれない
です。
仮にそう感じたならば、そんな
あなたは、今までこれが幸せの
モデルケースだよっていう
ある種の社会常識??
(お金至上主義、学歴社会、
家柄など)にとらわれ過ぎて、
そこに絶対的な至上の価値を
置いているマインドになっている
のです。
分かりやすくイメージで言うと、
旧約聖書みたいに絶対的なものに
対して、忠実に教えを守る
敬虔な信者みたいな感じになります。
もちろん、こうしたマインドが
悪いと言っているのではありま
せん。
ただ、それを理由に、
ある種の社会常識??
(お金至上主義、学歴社会、
家柄など)に従わない人たちを
排除、軽蔑をしたりはしないで
下さいとだけ言っておくね!
社会には、守らなければいけない
交通ルールみたいなものがあり、
それは例外的に守るべきもの
だとは、思うので、ここは
誤解しないでちょうだい。
今日は、タイトルだけを見ると、
なんだかよく分からないって
なったとは思いますが、意外に
身近な内容だったので、分かり
やすかったのではないでしょうか。
最後まで話を聞いていただいて
ありがとう。
では、またね。
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