今日は、あなたが自分が人を
受け入れる(認める)ために、
自分をも含めた人に条件を
付けるという考え方の根底には、
自分のアイデンティティを確保
しようとすることにあるんだよ
って、話をしていくぜ。
えっ、どうして人を受け入れる
ために、人に条件を付けるという
ことが、自分のアイデンティティ
を確保することになるのって思った
のではないでしょうか。
簡単に言うと、仮に、あなたが
人を受け入れるために、条件を付けて
いるとしたら、それは、あなたが
自分のことを無条件に立派な存在
として受け入れることが出来ていない
ことから、あなたなりに立派だと
思う(かなり主観的な)条件を
付けて、そこに線引きをしていく
って感じになります。
このあなたが立派な存在として
評価できるものを、ここでは
アイデンティティの意味で言葉を
使っています。
この定義は、くまおうのオリジナル
なのですが、アイデンティティって
言ってみれば、(社会的な)存在価値
みたいな漠然とした意味合いでよく
使われているので、あながちズレ
てはいないのではないかと。
もっと簡単に言えば、あなたなりの
人はこうあるべき像みたいなもの
になります。
これは、かなり相対的なものでは
あるので、人それぞれになります。
これはさておき、ここで問題なのが
このかなり主観的なものを自分以外の
人に対しても、ほぼ一方的に押し付け
てしまっているのと同じようなこと
をしている点なのです。
だって、あなたが、あなたなりの独自
のルールに従って、ある人を受け
入れるのかどうかを、形式的に線引き
をしてしまうということは、いわば
もはや区別を超えて差別をしている
ことと同じとは思いませんか。
ここで誤解しないように言って
おきます。
友達付き合いなり実際にある程度、
その人なりを見て、評価をすること
は、何ら問題はないし、その方が
一般的だと思います。
ここで問題にしているのは、最初に
友達になるかどうかといった入り口
の段階で、あなたがその人を
受け入れるのかどうかの条件たる
フィルターをかけて、そこに線引き
をすることについての話ですからね。
例えば、SNSなどで、どこに
住んでいる、職業、どこの大学
、年齢、リアルな友達?などなど
みたいな条件を付けて友達になるか
どうかの承認するかどうかの線引き
をすることがそれに当たります。
特に、リアルなというのは、??
おそらく、実際にあったことのある
みたいな意味なのかもしれませんが
SNSだって、やり取りをしている
相手は間違いなくリアルな生の人間
なので、すごくおかしいとは
思いませんかw
なので、自分以外の人にその人を
受け入れるための条件を付ける
ことは、その人を形式的に入り口
で排除し差別をしていることと
同じようなことをしているに他なら
ないことが、分かっていただけた
のではないでしょうか。
あなたが自分が自分を含めた人を
受け入れる(認める)ために、
自分をも含めた人に条件を
付けるという考え方の根底には、
あなたが立派な存在として
評価できるものを設定し、
あなた自身あるいは、あなた以外の
人が、その条件を満たすことによって
自分のアイデンティティを確保
しようしているんだぜ!!
ここでのポイントは、自分自身は
その条件を満たせていなくてもよく
自分以外の人でも、その条件を満た
せていればそれでよいという考え方
をしていることになります。
これって、すごいエゴで自分勝手
な考え方になりますよねww
さっき挙げた具体例だと、自分は
高学歴ではないのに、その相手には
高学歴じゃなきゃダメ、自分は
いい年をしているのにも関わらず
その相手には、若くなきゃダメみたい
な本当にエゴな考え方をしている
こんな感じになります。w
この思考状態であるのは、客観的
には、本当は虚しい状態にある
のにも関わらず、そういう思考状態
に陥っている人は、単にその相手が
条件を満たせているに過ぎないのにも
関わらずですよ、意外にも、まるで
鬼の首を取ったように自分に
酔っていてかなり自己満足をして
いることが多いのが、実に不幸
なのではないでしょうか。
今日は、自分の(社会的な)存在価値
を見出すための根拠を、身勝手な
条件を設定し、それを満たすことで
そこに見出すことによって、自己満足
に浸ってしまわないようにというのが
くまおうからあなたへの強い
メッセージになります。
かなり語気を強めた話口調で、
あなたに、ストレートに伝えたので、
よりあなたの心に少しは響いた
のではないでしょうか。
最後まで話を聞いていただいて
ありがとう。
では、またね。
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