今日は、利他的なことをする
ことと自己犠牲的なことをする
ことを同じようなものと思っては
いけないよって、話をしていきます。
えっ、利他的なことって、相手の
ために精神精鋭の施しをすること
なので、自分が損をしてまで、
相手のためにすることなので、
自己犠牲的なことをすることでは
ないのって思ったのではないで
しょうか?
確かに、相手に対して精神精鋭の
行いをしていくことには間違いは
ありません。
でも、「自分が損をしてまで」とか
「自分の身を削ってまで」それを
する必要があるのかは、いかがなもの
かとは思います。
だって、仮にそうした「自分が損を
してまで」とか「自分の身を削って
まで」みたいな条件を満たさなければ
ならないのであれば、利他的なことを
することが出来ないことになって
しまいますよね。
とすればですよ、利他的なことをする
ことが出来る対象者は、自ずと
経済的に裕福な人や時間的に余裕の
ある人であり、かつ、そうした志を
持っている人に限定されてしまうとは
思いませんか。
利他的なことをすることが、
こんなにもハードルが高いことなの
でしょうか。
これは、どう見てもおかしな感じが
しますよね?
では、どうして、利他的なことをする
という定義や意味が、こんな感じに
なったのでしょうか。
このことについて、ここからは、
くまおうなりの視点でそのなぜ
について、ハッキリとさせて
いきます。
おそらく、たとえ他人のために
行いをしたとしても、自分のため
という要素や動機が少しでも
混じった状態であれば、それを
偽善者だとか、不純なものだという
感覚や価値観が働いてしまう
ことにあるのではないでしょうか。
あなたは、それを聞いて見て
どうだったでしょうか。
いやいや、私は違うと思われた
かもしれませんし、言われてみれば
私はそうだったかもしれないと
感じたかもしれません。
それは、マチマチだとは思います。
いずれにせよ、少なからず、
「自分のために」という言葉を耳に
して、「なんだあ、そういうことかよ」
って条件反射的に感じたり、思ったり
するのであれば、それはやはり、
程度の差こそあれ、
利他的=自己犠牲という感じの定義で
考えていることになっています!
これまで、くまおうがあなたにも
お伝えしたように、100%善人、
100%悪人みたいな単純に黒白が
ハッキリとするようなものでは
ないのです。
なので、ここで重要となって
くるのは、そのバランスがどうなって
いるのかということになります。
ようは、割合や比重こそが、
利他的であるのかどうかについて
定義や判断を探る上での鍵となって
きます。
人と物とは違いますが、ここで
分かりやすい具体例として、
ポンジュースを挙げていきます。
ポンジュースって、みかんの果汁が
100%じゃないですか。
ポンジュースは、その名称が
ポンジュースではあるけれども、
カテゴリーで言えば、
オレンジジュースになりますよね。
ここで、スーパーに出回っている
オレンジジュースはというと、
必ずしも、果汁が100%ではない
ですよね、というよりはむしろ、
果汁100%ではない方のが多い
ではありませんか。
このオレンジジュースと同様に、
利他的なことをする場合であっても
何もその行いをする上で、必ずしも
100%他人のためである必要
なんてないのです!!
非営利法人(NPO)でさえ、
営業利益を上げて、黒字を出している
状態が、その大半である現状からも、
そう考えるほうのが自然だとは思い
ませんか。
先ほどお伝えしたように、ようは
利他的VS利己的のバランスや比率が
重要になってくるということ
なのです。
そこで、くまおうは
利他的 〉利己的であれば、
個人的には、それは十分に利他的
と言っていいと思います。
勘のいいあなたならば、もう
分かったのではないでしょうか。
そうなのです。
くまおうの定義からすれば、
他人のためにという心がけから
行った行動は、その大部分において
利他的ということになります。
それは、利他的な気持ちが、
50%以上であれば、それが
そのまま利他的な行いになるから
なのです。
とすれば、利他的=自己犠牲という
構図は成り立たないという三段論法が
成立することになります。
くまおうが、何点か気づいた中で
もう一点だけ問題提起として付け
加えておくとすれば、そうした
利他的=自己犠牲という発想が
根底にある状態では、そもそも
利他的な行いをしないという選択を
潜在意識がそうさせてしまうように
働いてしまうということになります。
今のお話は、くまおうからあなたへ
問題提起とさせていただき、どうして
そう言えるのかについて、じっくりと
あなたなりに考えて見て下さい。
そうすれば、きっと、あなたの
知恵のレベルがアップし、より
幸せなあなたへと変化をして
いきます!
今日は、利他的という本来は
褒められるべき行いであるのに、
そうはなっていなく、
どちらかと言うと、実際にそうで
あったとしても、そうは認められない
のが現状であり、そのことがおかしい
と分かっていただけたのでは
ないでしょうか。
では、またね。
愛と知恵で溢れる
幸せの向こう側へ
くまおう
コメント