ダメダメ人間なんて、そもそも存在しません。

くまおうのはなし(Facebook)
スポンサーリンク

 

今日は、ダメダメ人間は、この世に

存在しないよって話をしていきます。

 

 

スポンサーリンク




 

えっ、私の周りにも、だらしがない

友達や知り合いがいるよって思ったの

ではないでしょうか。

 

確かに、だらしがない人を指して

ダメダメ人間と表現するのは、

一般的で、そういう呼び方をするのも

自然ではあります。

 

でも、よくよく考えてみたら、

今の場合だと、

だらしがない人間=ダメダメ人間

つまりは、~人間=~人間みたいに

普遍的な固定化された分類がなされて

います。

 

あなたは、これだけ聞いても?かも

しれないと思うので、どうしてそれが

問題となるのかについて、

わかりやすく伝えていきます。

 

すごくわかりやすくするために、

ざっくりにはなりますが、

わかりやすい具体例から話して

いきます。

 

オオカミ少年の話になります。

 

オオカミ少年は、常日頃いつもいつも

嘘をついていたことが原因となって

肝心かなめの窮地の場面で、助けを

求めたけれども、それを信用しては

もらえずに、オオカミに襲われ、

その命を落としてしまったという話

ですよね。

 

オオカミ少年=嘘つき少年

って感じの普遍的な固定化された分類

になります。

 

確かに、オオカミ少年は、これまで

嘘をついていたのかもしれません。

 

だからといって、今回もまた、

これまでと同様に、嘘をつくかどうか

は、そんな普遍的に必然となるような

ものではないですよね。

 

ただ、同じことを繰り返す可能性は

高いと、くまおうも思いますw

 

いかにも、普遍的な固定化された分類

を正しいと思い、ある意味レッテルを

貼ってしまう危険性があるということ

なのです。

 

本来は、嘘をついたので、~は信用

出来ないというのが、自然な発想に

なるとは思いませんか。

 

つまり、~という行為をしたので、

その結果、~という評価が下される

といのが自然ということなのです。

 

でも、オオカミ少年の例だと、

常日頃、嘘をついていたということ

で、実際にその時に嘘をついては

いなくても、嘘をついているという

評価がくだされてしまっています。

 

ようは、本来は、1つの行為ごと

その都度その度に、その行為を判断

していくべきなのですが、実際は

そうなっていない場合があるという

ことになります。

 

話は少しそれてしまいますが、

刑事事件で犯罪を犯したニュースを

見て、あんな犯罪を犯した極悪人は、

死刑にでもなってしまえばいいんだよ

ってふとっ思ってしまったことは

ありませんか。

 

こうした感覚の根っこにあるのが

まさしく、普遍的な固定化された分類

レッテルってことになります。

 

では、話があまりにもそれたので、

元に戻していきます。

 

ダメダメ人間は、この世に

存在しないよってことなのですが

本当に存在しません。

 

存在するのは、ダメダメなだらしの

ない行為をする人間だけなのです!

 

このように、人間を評価する時には

まずは行為に着目をしないと、

妥当で、真実に近い評価を下すことが

難しくなってしまいます。

 

人間は、更生をして、過去とは

かけ離れたよい人格者にもなり得るし

たとえそうならなくても、その時

その一時点だけ、日ごろとは違った

いいことをする可能性もあるので、

その可能性については見落とさない

ようにしましょうということです。

 

中には、ごくごく少数ですが、

まったく更生の余地もない人間も

いるので、何とも言えない例外が

あり、残念なことではあります。

 

このように、行為に着目をして

ニュースなどを見てみると、意外にも

これまでの自分とは違った見方が出来

その結果、人を見る目が養われる

のではないでしょうか。

 

今日は、簡単に言えば人間にレッテル

を貼らないようにということなの

ですが、そこにあれこれと、

くまおうの視点を入れることで、

あなたに、よりくまおうの言わんと

することが伝わったのでは

ないでしょうか。

 

最後まで話を聞いていただき

ありがとうです。

 

では、またね。

 

愛と知恵で溢れる

幸せの向こう側へ

 

 

くまおう

 

コメント