今日は、我や自分を表現すると、
一見すると、どちらも自己中心的な
ものに思われがちだけれども、両者
似て非なるものだよって、話をして
いくぜ。
我は、エゴで、自分を出すことも
我と同様にエゴとしてみなされたり
していますよね?
でもですよ。
我って、自分はこうでなければ
ならないって、どちらかと言うと
生まれ育った環境や周囲の人
からの社会的に大多数の正解
みたいなある意味固定化された
感じのものを指しています。
自分を出すことは、それとは違い
社会的に大多数の正解みたいな
ある意味固定化された感じのもの
ではなく、自身の生き方といった
心からそうしたいと願っている
信念みたいな感じのものを
指します。
もちろん、いずれの定義も、
くまおうのオリジナルなので
一般的に使われいる解釈では
ないので、そこは理解してね。
いずれも、第三者から見れば、
行為だけに着目をすれば、
身勝手に振舞っているように
見えるので、自己中心的なもの
に思われてしまってるのです。
でも、我は、自分の意思という
よりは、むしろ外的な要因
(社会常識、周囲の目、欲望)
に突き動かされて生きているに
過ぎません。
自分を出すことは、自分はこう
生きたいといった信念に基づいた
生き方を選択しているので、
外的な要因(社会常識、周囲の目、
欲望)からは離れた自分の意思
で生きているのです。
両者は、全く違いますよね。
自分を出すことは、イコール自分を
大切にすることなのです。
この生き方こそが、誰が何を言おうと
間違いなく、幸せを実感できる生き方
そのものなんだぜ!!
なので、我で生きている方々は、
生きていることそれ自体が妙に
窮屈で苦しくなるのです。
だって、まるで自分の身体を使って、
他人の人生を生きているみたいな
ものなのだから!
ここで、くまおうがオススメしている
自分を出すっていうのは、あくまでも
その中には愛が含まれたものである
ことが、前提条件にあることを
決して忘れてはいけないからねw
これで、我や自分を表現すると、
一見すると、どちらも自己中心的な
ものに思われがちだけれども、両者
似て非なるものだよってことが
分かっていただけたのではないで
しょうか。
今日は、エゴって概念が一般的に
使われている意味とは異なったので、
ん?ってなったかもしれないのですが
それに反してw話が分かりやすかった
のではないでしょうか。
最後まで話を聞いていただいて
ありがとう。
では、またね。
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