競争といえばプロのスポーツ選手を思い浮かべますが、それとは違った意味の方が多いのでは?

くまおうのぶろぐ
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競争とは?

 

競争とは、ライバルとなるもの

同士がお互いに競い合って

その優先順位を決めるものだと

いうのがよく言われている

意味になります。

 

 

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オリンピックみたいな場面では

まさしくまったくその通りに

なります。

 

表彰台に上がれるのは1位から

3位までの選手に限られて

しまうし、同じ順位に複数の

選手が存在することもない

からです。

 

このことは、椅子取りゲームに

似ていますよね。限られた

個数の椅子をお互いに奪う合う

みたいな「熾烈な競争」といった

ものになるでしょう。

 

プロのスポーツ選手などは

この椅子取りゲームそのものに

なりますよね。

 

レギュラー選手に選ばれるのは、

たとえばプロ野球選手でいえば

9人になります。

 

また、この9人の各それぞれには

9つのポジションに1人が配置

されるシステムになるので、

ある意味椅子取りゲームよりも

「熾烈な競争」かも知れません。

 

事実上、その特定のポジションで

1位を取らなければ、その特定の

ポジションでレギュラーには

なれないからなのです。

 

こうした上限やパイの決まって

いる条件での競争であれば、

やはり「熾烈な競争」に

ならざるを得ません。

 

ここであなたは疑問に思わなかった

でしょうか?

そういえば、世の中のほとんどが

上限やパイの決まってはいない

条件で競い合っていることの方が

多いということに。

 

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ここでは職業というものに焦点を

あてて見ていきましょう。

 

職業といえば、仕事の内容という

よりは、むしろ企業の名前、

つまりどこの会社に勤めている

それが重要視されています。

 

要するに、あなたがどこに所属

をしているのかという属性に

着目していることになります。

 

これは、おかしなことになります。

 

そもそも職業というものは、

どういうお仕事をしているのかを

表すものだからです。

 

とすれば、どこの会社に勤めて

いるのかは、職業とはあまり

関係がないことになります。

 

本来はあなたの職業的なスキル

とあなたが勤めている会社とは

全く別物なのです。

 

なのにですよ、あなたの職業的な

スキルというものの価値を

あなたが勤めている会社という

属性と結び付けてしまうことで

あなたの職業的なスキルそのものに

対して上限やパイを決めつけて

しまっていることになります。

 

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それは、あなたが属している会社

という組織では、そこに存在する

ポスト(役職など)が必ずあります。

 

そのポストって、まさに人数が

固定化されたものになり、また

その属する会社でさえも

起業ランキングといった

ピラミッドのような順位付けが

行われています。

 

そこでは、あなたの職業的なスキル

というものが無視されてしまった

格付けみたいなものになっている

ということなのです。

 

あなたの職業的なスキルは固定化

された指定席のようなもの

ではなく、組織とは分離された

上限やパイの決まっていない競争

をしているのにも関わらずです。

 

たとえば、技術職と言われている

職業があります。

 

ここでは、その特定の技術者が

どのような技術、どのようなことが

できるのかがその評価の対象になって

います。

 

だからこそ、優秀な技術者は

引っ張りだこになるし、重宝される

のです。これこそが、

あなたの職業的なスキルの評価という

ものになります。

 

このような場合、職業に対して

上限やパイは存在しない競争に

あります。需要と供給という

システムでの引き抜きがあるとは

いっても、あなたの職業的なスキル

に固定化されたポストのような

ものは存在しないですよね。

 

この通り、職業にはそもそも

上限やパイなどは存在しない

ことが分かっていただけたのではない

でしょうか?

 

つまり、職業というものの評価が

一人歩きをして、勝手にそれに

上限やパイがある「熾烈な競争」

かのごとく思い込んでいる状態

に陥っているだけなのです。

 

競争とは、椅子取りゲームの

ような「熾烈な競争」ではなく、

共存しながらお互いの能力を

高め合うような健全な競争で

あることがほとんだということに

なります。

 

ここで、競争と言えば

条件反射的に「熾烈な競争」

を思いうかべてしまうのだろうか?

ここからはそれについて、

お伝えをしていきます。

 

 

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では、どうして競争

といえばスポーツの

ような椅子取りゲームを

連想してしまっている

のでしょうか?

 

この答えは、さきほどのお話で

ほぼお伝えをしていまっている

のでが、もっとそれを深堀して

お伝えをしていきます。

 

いきなり結論から入っていきます。

 

それは、学校教育やサラリーマン

という大多数の人が所属する

そのシステムの性質に溺れて

しまっているからなのです。

 

もっと端的に言えば、「常識」

というものに溺れてしまっている

からということになります。

 

それはどういうことなのかと

いうと、学校やサラリーマンという

組織というもの、つまり属性による

アイデンティティーに依存させる

考え方がその根底にあるという

ことになります。

 

学校やサラリーマンというものは

組織という個性のない集団を

包括する概念上の固有名詞に

なります。

 

この「固有」名詞ということが

そこに属している構成員を

個性のない「固定化」された

格付けや評価の対象へと導いて

しまっているということなのです。

 

そこでは、組織と言うピラミッド

の評価基準で、本来はそれとは

切り離された個性をもった個人

というものが、画一的な勝手な

基準によって、評価されてしまって

います。

 

また、そうした構造は、そこの

組織の中にいると、全く無自覚にも

なってしまいます。

 

そうしたピラミッドを正当化する

基準はあたかも法律のように

模範的な理想的な基準であると

信じ切ってしまうような環境下に

あることに気付かなくなって

しまうからです。

 

その環境下にいる人にとっては

その環境で機能している基準

というものがスタンダードな

「常識」になるのですから。

 

仮にこうした環境下にいると

したら、それは「熾烈な競争」

という環境下にいるとも言えます。

 

学校では成績と言う形で、

順位という格付けがされ、

サラリーマンではポスト(役職)

という形での順位による格付けが

されてしまっています。

 

そこの組織の中では、その順位

というものが、唯一無二であり、

まさに椅子取りゲームになって

いるという構造なのです。

 

このことはかなり危険信号

なのです。

 

その固有の組織でしか通用

しない「常識」に溺れていると

その組織以外のところでは

全くそれが通用しないので

新しい組織では受けいれてもらえ

ないということもあり得るのです。

 

これで、どうして競争といえば

スポーツのような椅子取りゲームを

連想してしまっているのでしょうか?

ということが分かっていただけたの

ではないでしょうか?

 

 

まとめ

 

競争とは本来は「熾烈な競争」を

意味するものではなくて、

共存しながらもお互いの能力を

高めるものであることがほとんど

なのです。

 

ところが、学校やサラリーマン

というピラミッド構造の組織に

いると、その組織での評価が

「熾烈な競争」を生み出してしまう

システムが機能していて、その

システムに溺れてしまっているが

ゆえに、競争=「熾烈な競争」

という連想をしてしまいがち

なのです。

 

また、このようなピラミッドを

正当化させてしまう組織に慣れて

しまうと、その「熾烈な競争」

というものが「常識」として

認識されてしまいます。

 

このようにして、競争=「熾烈な競争」

という連想が条件反射的に起こって

しまうのです。

 

このことを自覚していただければ

あなたは自分の「個性」という

ものに目を向け、自己評価を高く

しつつ無限の可能性にも気づけて

いくのではないでしょうか。

 

では、またお会いしましょう!

 

愛と知恵で溢れる

幸せの向こう側へ

 

 

くまおう

 

 

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