諦めることと見切る(悟)ことは全く違うよ!

くまおうのぶろぐ
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[su_heading size=”21″ align=”left” margin=”10″]諦めるここと見切ることの違いとは[/su_heading]

 

諦めるということは、何か取り組んで

いたことをその道半ばで途中で止める

ことを意味するので、見切ることと

同じではないの?って思ったのでは

ないでしょうか。

 

 

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もちろん、その道半ばで中途半端な

状態で物事を止めてしまうという点

では、同じかもしれません。

 

でも、両者は、そこに至るまでの

プロセスとその判断をする時の

意識状態が根本的に違います。

 

どういうことなのかと言うと、

諦めるという判断は、ある意味、

「もうだめだ、自分にはこれ以上

続けても好ましい結果が出せない」

と自分にはできないというマイナス

の感情をそのままあなたの潜在意識に

植え付けてしまうことになります。

 

一度ならまだしも、こうした諦める

という判断をし続け塵も積もって

しまうと、今度はあなたは、

自分には『才能がないから』できない

という固定観念を自分自身に抱いて

しまうことにつながってしまいます。

 

これは、ものすごく大問題ですよね。

 

なので、諦めるという判断をしないで

ほしいのです。

 

一方、見切ることは、諦めることとは

違い、「自分にはできるんだけれども

あえてやらない」と判断して、あえて

それ以上続けないという選択を

積極的にしていることになります。

 

この見切るという判断、「自分には

できるし、好ましい結果は出せるん

だろうけれど、何か違う感じが

するから、今回はやめておく」と

自分にできるというプラスの感情を

そのままあなたの潜在意識に

植え付けられることになります。

 

こうした判断が積み重なっていくと

どうなるのかは、あなたならば

わかるのではないでしょうか。

 

積極的に自分で自信を持って判断

していることになるので、見切る

という判断には、その判断に対して

後悔というものが存在しません。

 

とすれば、仮にあなたが後悔する

ような場面に遭遇をしたならば、

裏を返せば、あなたはその後悔している

ものに対して、諦めるという判断を

している可能性が高いということに

なります。

 

ある意味、この後悔というものを

基準にしてみると、ある判断が、

諦めなのか見切るなのかを見極める

分水嶺としての役割を有効に

果たせると思います。

 

ここまでで、諦めるという判断

ではなく、見切るという判断を

していけばいいことは分かりましたが

そうするためにはどうすればいいの?

ってなりますよね。

 

今から、それについてお伝えして

いきます。

 

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[su_heading size=”21″ align=”left” margin=”10″]諦めるという判断をしなくするには[/su_heading]

 

ここで、あなたは諦めるという言葉を

聞くと、これまでに諦めたなあと思える

ような苦い経験や、時にはトラウマ

などを思い浮かべたかもしれません。

 

もしかしたら、あまりにも諦める

ことに慣れ過ぎて慢性的な場合で

あれば、そういったものすら

思い浮かばないかもしれません。

 

いぜれにせよ、あまりいい気分の

ものではないことに違いは

ありません。

 

なのにですよ、どうしてこうした

諦めるという判断をしてしまうのか?

 

それは、自分というものを信頼

できていないからです。

 

あなたは、物事に取り組む前に、

それに取り組もうという決断を

下します。

 

では、どうしてそれに取り組もうと

決断したのでしょうか?

 

おそらく、それに取り組めば、

少なくても何らかの効果や結果が

見込めたからではないでしょうか?

 

もし、それに取り組む前から、

何らの効果や結果も見込めないと

思っていたら、それに取り組もうとは

思っていなかったでしょう。

 

となると、仮にあなたがそれに

取り組んだということは、

それに取り組む前から、

何らかの効果や結果が見込めると

思っていたことになります。

 

でもこれっておかしくないですか?

 

どうして、物事に取り組む前に

何らかの効果や結果が出ると分かった

のですか?

 

そうした効果や結果は、やってみて

からでないと、分からないこと

ですよね。

 

たとえば、これまでに100回成功した

ことであっても、次の101回目も

同じように成功するとは限りません。

 

だって、101回目にチャレンジできる

機会がなくなったとか、あらゆる条件や

ルールがいきなり変わったりとか、

さまざまな要因によって、これまでと

違ってしまう場合が大いにあるからです。

 

確かに、これまで成功率が90%だった

とかを根拠にして、これまで通りの

成果や結果が出ると言うと、もっとも

らしくは聞こえます。

 

ここでも、100%ではない以上

単なる確率論にしか過ぎないのです。

 

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また、この確率論と言うものは

少し厄介なもので、同じ数字を

目にした場合であっても、その

とらえ方が違ってきます。

 

成功率30%という数字を見て、

それを少ないという人もいれば

多いという人もいるということ

なのです。

 

これでは、確固とした基準には

なり得ません。

 

こうして見ると、いかに根拠もなく

何らかの効果や結果が見込めるか、

見込めないかの不毛な判断をしていた

のかということが分かっていただけたの

ではないでしょうか?

 

そこで、諦めるという判断すら、

実は、こうした不毛な判断の一つでも

あるということになります。

 

もちろん、見切るという判断でさえも

同じことにもなります。

 

結局は、四の五言っても、どちらの

判断も不毛な判断の範疇を脱する

ことができないということなのです。

 

だったら、根拠にはなっていなくても

見切るという判断をすることで、

少なくてもあなたが後悔をしなくて

済むのであれば、ただそれだけでも

役に立つものと言えるのではない

でしょうか。

 

だったら、どうせ最初から根拠がない

んだったら、あなたは自分の基準で

やりたいか、やりたくないかによって

ある物事に取り組むのか否かを判断

していけばいいということになるのでは

と、くまおうは思います。

 

それこそ、捕らぬ狸の皮算用や

無駄なたらればを考えて余計な不安や

恐怖を感じて、何も取り組めなくなる

リスクも減らすこともできるので

そうしていただけるといいと

思います。

 

では、またね。

 

愛と知恵であふれる

幸せの向こう側へ

 

くまおう

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